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このブログの貴重なお客様である桔梗屋さんとお話していく中で、私の着物スタイルに対するスタンスみたいなものがちょっと見えてきました。
私と桔梗屋さんとでは、着物に対するスタンスなどが違うのですが、ここは私のブログですし(笑)私のような考え方があってもいいだろうと思うので、記しておこうと思います。


着物というものは、「着る」ことだけを目的にするならば、別に面倒でも難しくもありません。ガウンみたいに羽織って前だけ合わせて紐でぎゅっと縛ってしまえばいいんですから。

ところがファッション性、さらに美しさを求めると、途端に面倒で難しくなってきます。
引き締まった襟元や、裾つぼまりの姿、皺もたるみもない背中、直線のお太鼓。それらは全て着物を美しく見せる要素です。
確かに隙の無い着姿っていうのは本当にうつくしいものです。
ところがそれにはテクニックもそれなりの我慢も必要になります。
補正無くしてシワのない着姿など無いでしょうし、テクニック無くして現在求められる「美しい着姿」というのは得られないでしょう。

ですが、私はその現在求められるところの美しい着姿というのは、ちょっとばかし煩いように思うのです。



着物はかつて、普段着であり礼装であり、日本人の生活に密着した「着るもの」でした。ところが洋装が入ってきて、着物はどんどん廃れていきました。
今の人は人生に数度着るのがいいところでしょうね。その中で着物は「着るもの」ではなくなり、「伝統・文化」という側面を残すばかりになってきました。

現在の着物は「着るものではなく見るもの」ではないか?これは桔梗屋さんとの共通見解でもありますが、そう思います。

つまり今の着付けは「美しさ」を念頭に置いた、見る・見せるための着付けのように思うのですね。
そりゃ煩くてあたりまえです(笑)
もちろん、着るものに美しさを求めるのは当たり前です。誰だってどうせならカッコよく着こなしたいと思うでしょうし、私だってそう思います。
ただ、あまりにもそこの部分を追求しすぎて、着物がしんどいものになっちゃってるのは、とても勿体無いことだと思います。

「こうでなくてはならない」のような思い込みが着物の幅を狭め、より廃れさせていってるように、私は感じます。

ですので、私の着物は半分半分くらいで行きたいな、と思っています。
決まりに捉われず、新しい感覚を。それでも今の着付けが美しいことは事実だから最低限のところは取り入れて。そんな感じです。

そしてこのブログの方向性としても同じ感じで行こうと思っています。
私にとって着物は「着るもの」だから、どんな風に着たっていいと思っています。でも自由に着ていいんだよって言われても自由すぎるとかえって戸惑ってしまいますよね?(笑)

着物を着る人をぜひとも増やしていきたいので、半分半分で。
こんな風に着る人もいるんだな、くらいで見てもらえれば。と思います。
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